龍降寺の歴史

縁記

創立年月は不明となっておりますが開基開祖は、常雲 祖樂和尚にして天正二年十月十九日遷化しました。※1

寛延(宝延)元年(※2)には不幸にも諸堂悉く(しょどうことごとく)火災により烏有(うゆう※4)に皈(かえ)てしましましたが、寛暦八年(戊寅 ※3)に四世鳳山 祖箋和尚により再建されました。

傳説(伝説)として受け継がれている話では、往古(過ぎ去った昔)此(こ)の村に七堂伽藍(しちどうがらん)が建設され人々を驚かしたとされています。天正の兵火により悉く焼き尽くされようとする時、不思議にも天空の彼方より霊鳥現れて飛来するよと見るに間に一天俄(いってんにわ)かに掻き曇り物凄き豪雨となり残りしを、一堂を鳳凰山とよび龍降寺と称して今におよんでいます。

※1 遷化:語源としては、この世での教化を終えてあの世での教化に移るという意味からである。しかしこの語は本来、仏教のものではなく漢語に由来するもので、例を挙げると『前漢書』外戚伝上の考武李夫人などにも使われ、本来は僧俗問わず、高い地位にある人物が亡くなった場合に意味するものであった。(wikiペディアより抜粋)

※2 寛延:1748年から1751年までの期間を指す。(wikiペディアより抜粋)

※3 寛暦1751年から1764年までの期間を指す。(wikiペディアより抜粋)

※4 何も存在しないこと・何もないこと

歴代 住職

【開基開山】
常雲 祖樂 (天正二年十月十八日寂)

【二世】
貴叟 永尊(延寶三年八月七日寂)

【三世】
秋嶽 公實(享保三年十月十二日寂)

【四世】
鳳山 祖箋(安永八年六月十六日寂)

【五世】
俊道 文英(明治七年十一月十六日寂)

【六世】
養嶽 玄育(明治三七年十二月三日寂)

【七世】
諦源 惠敎(大正七年十一月二十一日寂)

【八世】
至山 文敎(昭和三十三年十二月十六日寂)

【九世】
宗育 至道(平成九年十二月三日寂)

【十世】
栄俊 義弘(現在)

【生活信条】妙心寺派の教え

【生活信条】

一日一度は静かに坐って、身と呼吸と心を調えましょう
人間の尊さにめざめ、自分の生活も他人の生活も大切にしましょう
生かされている自分を感謝し、報恩の行を積みましょう

【信心のこと】

わが身をこのまま空なりと観じて、静かに坐りましょう
衆生は本来仏なりと信じて、拝んでゆきましょう
社会を心の花園と念じて、和やかに生きましょう

宗旨名 臨済宗
(りんざいしゅう)
本山 正法山 妙心寺
(しょうぼうざん みょうしんじ)
山号 寺院名 鳳凰山 龍降寺
(ほうおうざん りょうこうじ)